雑感~人間関係の「距離感」あれこれ…。やはりリアルとバーチャルの対人関係は逆転するのかも

スマホ(i-phone)を手にしてからネットで過ごす時間が急激に増えたことで日々感じていることをつらつらと…。

フェイスブックなどのSNSは(セミ)「パブリックな空間」というよりも拡張された「仮想的なプライベート空間」だと思うのです。SNSの場合、繋がっている相手のことは多かれ少なかれ過去に一度は会ったことのある「知っている人」というのが前提でしょうから。

その一方でブログやホームページ上のやりとりなどで匿名やペンネームで自分と「交流」している人たちですが、そもそも彼らとは根っからの「他人」のはず。彼らの名前も知らないし、実際会ったこともない。

しかしながらネット空間で日々接していると彼ら他人との「距離感」がどちらかというとも「知人の側」にいるように感じられるのです。すなわちSNSで繋がっている知人友人とさほど変わらないという不思議な感覚がします。

あるいはSNSで勝手にフォローしている有名な政治家やタレントは当然こちらは向こうをよく知っていますが相手は自分を知るわけがありません。あくまでもこちら側からの一方的な関係性しかないはず。その意味では従来の言葉の用法であればお互いが「他人」のはずです。

しかしながらネット上で彼らのコメントや言説に頻繁に接するたびに、会ったこともないのに「よく知っている」ように感じてしまうのです。リアルライフでは全く会ったことのない相手でも、ブログやツイッターなどのネットを通じてその人のことをよく知っているように「錯覚」する。いやそれどころかしばらく会わない旧知の友人よりもむしろよっぽど「身近」に彼らが感じられ、その人と「交際」しているような気分になるのです…。

たとえば最近世界中で毎日話題となるアメリカのトランプ大統領…。ツイッターで彼と繋がってコメントに接すれば接するほどトランプさんがあたかも自分の近くで、あるいは広い人脈のネットワークの周辺で実際につぶやいているように感じられるものです。

このようにAIがさらに進んでいくと、いやいやすでにSNSが発達した2017年の現代であっても「相手を知っているということ」の意味が劇的に変わっていく気がしてなりません。

そういえばこの年末年始、休暇中に自宅から一切外出せず家にこもって過ごした人の割合がかなり増えたというニュースを見ました。これも実際に自分自身の休暇の過ごし方を振り返って「さもありなん」と合点がいきます。

こうして僕たちが日頃から使う「知り合い」や「知人」という言葉の意味も大きな変容を迫られてるようです。別の言い方をすれば、リアルな世界の社交の価値が相対的に下がる一方でネット世界での社交の価値がますます向上しているのではないでしょうか。

そしてバーチャル空間でのお付き合いこそが、ネット上での知人一人ひとりと深い関係性を築いていく人間関係こそが、むしろこれからのAI時代の「人間関係のデファクト」になっていくだろうと想像できます。

そう考えると来るべきAI(人口知能・ロボット)に対するわれわれの「思い入れ」も、意外に違和感なく「ヒューマンタッチな気持ち」を相手に抱けるのかもしれません。もっともそれは完全にこちら人間側の「片想い」なのかもしれませんが…。