断章 自分自身の過去とのつきあい方

誰もが知っているように、夢(青春時代)の本質はそれがもっている気分である。

それゆえ、夢を記憶するとは、その内容のみならず、それがもたらした気分、そのなかで自分が世界全体に対して持っていた「ある態度」を記憶しつづけることにほかならない。理想主義と決別しながらも理想を捨てないとは、この夢の気分を自分の世界への態度として記憶しつづけることである。

具体的な理想の中身、それは後から見れば荒唐無稽かもしれない。

しかしそのとき自分が大切だと考えたこと、ものの大切さについての自分のある態度、世界に対する自分の態度、それは当の理想や夢の中身が消失したり変化しても、過去の自分が自分であることを否定しないかぎり、自分を形づくる何かとして大人になった後もずっと存在し続けるのである。

理想を捨てない、ということが意味するのは、こうした態度を保ち続けること、夢の記憶をもちつづけることに他ならない。

こうした夢の記憶を失ったら、人は自分の過去と若さを否定し、青年に対してシニカルな態度をとることとなる。

それは人からしなやかさ、柔軟さを奪う。   引用:「生き方と哲学」(P180、鬼界彰夫)  (03/24/2012)

You Tube: “Self Portrait” by Ryuichi Sakamoto (1983)